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東京地方裁判所 平成9年(行ウ)197号 判決 2000年12月28日

主文

一  被告が中労委平成二年(不再)第四五号事件について平成九年六月一八日付けでした命令を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とし、補助参加によって生じた費用は被告補助参加人の負担とする。

事実及び理由

第一請求

主文第一項と同旨。

第二事案の概要

本件は、原告会社の管理職による被告補助参加人(以下「補助参加人」という。)組合の組合員である原告会社の社員に対する発言に不当労働行為があるとして千葉県地方労働委員会が発した命令(初審命令)を維持した被告の命令(再審査命令)について、原告会社がこれを違法としてその取消しを求めるものである。

一  争いのない事実

1(一)  原告会社は、昭和六二年四月一日、日本国有鉄道改革法(昭和六一年法律第八七号)及び旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律(同年法律第八八号)に基づき、主として東北及び関東の各地方において日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)が経営する旅客鉄道事業を引き継ぐ旅客会社として設立された法人である。

原告会社は、設立時、首都圏の列車・電車の運行を管理する東京圏運行本部を設け、その地方機関として、国鉄千葉鉄道管理局管内に相当する線区(総武本線、内房線、外房線、久留里線、成田線、鹿島線、京葉線及び武蔵野線(一部))の運行を管埋する千葉運行部を置いたが、昭和六三年四月一日東京圏運行本部からこれを独立させて千葉支社とし、現在に至っている。

(二)  補助参加人組合は、昭和五四年三月三〇日結成された労働組合で、昭和六二年三月三一日までは国鉄の職員らのうち、同年四月一日以降は原告会社、日本貨物鉄道株式会社等の社員らのうち、それぞれ国鉄千葉鉄道管理局管内ないしこれに相当する区域の動力車乗務員らを構成員とする労働組合である。

(三)  原告会社には、補助参加人組合のほか、東日本旅客鉄道労働組合(以下「東鉄労」という。)、国鉄労働組合(以下「国労」という。)、東日本鉄道産業労動組合、全国鉄動力車労働組合等の労働組合がある。

2(一)  補助参加人組合は、昭和六〇年五月一六日、国鉄との間で、職員の派遣(職員としての身分を保有したまま関連企業等において総裁の命ずる業務に従事するもの)に関し、「職員の派遣の取扱いに関する協定」(以下「派遣協定」という。)を締結したが、同協定は、派遣職員の決定に当たっては同意書を提出させ、また、派遣の終了後は原則として派遣前の所属・職名に復帰させる旨の定めを置いていた。以上のような派遣協定の定めの下で、所属長から派遣職員に対し、派遣終了の後には派遣前の所属・職名に復帰することになる旨の文書(以下「保証書」という。)が交付される運用が行われていた。

(二)  原告会社は、その設立とともに国鉄当時の派遣協定が失効したものとし、就業規則の関係条項に基づき、新たに出向規程を設けたが、同規程は、出向(社員としての地位を保有したまま、会社の命により、関連会社又は団体等に勤務するもの)を命ずるに当たって同意書を提出させるものとはせず、出向期間の経過後原告会社に復帰する場合の配属先についても、原則として原職に配属させるものとはしなかった。

この場合、原告会社は、派遣協定に基づく派遣職員であった者については出向規程に基づく出向社員として取り扱うこととしたが、復帰時の配属先については、国鉄当時、派遣職員に対して保証書が交付されている等の経緯を尊重し、原職と異なる職場への配属をするに当たっては本人の納得を得た上で行うこととしていた。

3(一)  P1は、昭和五〇年三月臨時雇用員として国鉄に採用され、昭和五四年二月千葉運転区電車運転士となり、昭和六一年四月当時も同様であった。P1は、昭和五〇年五月国鉄動力車労働組合(以下「動労」という。)に加入したが、昭和五四年三月補助参加人組合が結成された際、補助参加人組合に加入した。

(二)  P1は、昭和六一年三月三日、千葉鉄道管理局に対し、派遣に応じる旨の申し出を行い、同年四月一日から昭和六三年三月三一日までの二年間、京神倉庫株式会社に派遣され、同会社において配送業務に従事した。P1は、右派遣に当たり、千葉鉄道管理局から、同年四月一日付けで「派遣終了の後には、千葉運転区電車運転士に復帰することになる」旨の保証書の交付を受けていた。

4(一)  原告会社において、千葉運行部は、派遣から復帰する者に対して派遣中の労をねぎらい、派遣先での経験や復帰後の本人の事情等を聞く必要から、個々に面談を実施することとしていた。

(二)  P1との復帰時面談は、千葉運行部運輸課車務担当課長P2(昭和六三年四月一日から千葉支社運輸部車務課長。)及び千葉運行部運輸課人事係長P15によって、昭和六三年三月一五日(以下「第一回面談」という。)、同月一七日(以下「第二回面談」といい、第一回面談と併せて、以下「本件各面談」という。)の二回実施された。

5  その後、P1は、同月二三日、千葉運行部から、同年四月一日付けで千葉運転区運転士に配属する旨の事前通知を受け、次いで、同月二八日、その旨の配属発令を受けた。

6  補助参加人組合は、本件各面談においてP2課長がP1に対してした発言に、補助参加人組合からの脱退を勧奨するという、労働組合法七条三号に該当する不当労働行為があると主張して、同年四月二八日、千葉県地方労働委員会に対し、原告会社及びP2課長を被申立人として救済申立てをしたところ(千労委昭和六三年(不)第一一号不当労働行為救済申立事件)、同委員会は、原告会社に対し、平成二年六月一八日付けで別紙(一)のとおりの命令(以下「初審命令」という。)を発した。

7  同年七月四日、初審命令を不服とした原告会社が、被告に対し、補助参加人を再審査申立人として再審査申立てをしたところ(中労委平成二年(不再)第四五号事件)、被告は、平成九年六月一八日付けで、これを棄却する旨の、別紙(二)のとおりの命令(以下「本件命令」という。)を発した。

二  争点

P2課長の発言の内容及びその不当労働行為該当性の有無

三  当事者の主張の骨子

1  原告

(一) 本件命令は、原告会社の管理職が派遣先から帰任する予定の社員と面談して復帰後の配属先についての社員の希望を聞き、さらには、原告会社が検討している配属先の業務内容・職場環境等を説明するという、幅広い意見交換をしている際における管理職の発言につき、所属労働組合からの脱退を勧奨したものであると認定・判断するものであるが、本件命令は、企業の人事運用における総合・裁量判断の必要性への理解を欠く不当なものであって、事実認定に誤りがあり、かつ、不当労働行為成立に係る法令の解釈・運用にも違法がある。

(二) P2課長は、P1との第一回面談において、派遣期間を終えて原告会社に復帰するに当たり、国鉄ひいては原告会社の施策に快く応じて派遣期間を無事に勤め上げてくれたことに対してねぎらいの言葉をかけてから、原告会社においては、かつての国鉄におけるような、いわゆる「親方日の丸」意識を払拭した経営理念の下で社員に業務への取組みを求めている状況を説明するとともに、復帰後のP1の配属に関する原告会社の意向について応諾の可否を打診した。

社員の業務への取組みに関して、P2課長は、千葉運行部では社員に対して日常の業務の遂行上で気付いたことに関する業務改善についての提案を積極的に求めていること、より良い民間会社に成長させて行く上で社員の自主的活動として小集団活動への参加を求めていること、余力人員対策もからめて関連事業の展開に向けて人材の育成等のため社員の出向施策を継続していること、運転士には電車運行上の安全確保のために動力車乗務員作業標準の遵守を厳しく求めていること等の現況を説明するとともに、P1に対し、原告会社の業務に復帰後には会社の諸施策に積極的に協力してくれるよう要請した。

P1の復帰後の配属に関しては、京葉線の延長等が計画され、新たに京葉線の運転士要員として約二〇名程度が必要となる見込みであるため、P1に対して京葉線への配属を打診し、これに応諾してくれるように説得すべく、京葉線の発展性を説明し、京葉線の職場が千葉運行部の運転士にとって将来必ず魅力ある職場となることをるる説明した。

本件命令は、P2課長が右の説明の中で現在の社員で会社の施策に反対し、あるいは業務指示にも率直に従わない者もいることを話し、社長であったらこれをどう扱うかなどと問いかけた旨認定し、これらを組合脱退勧奨を推認できる根拠であるとしている。

しかし、およそ会社というような企業において、その経営上の施策に反対し、正当な業務指示に従わない社員が存在することは、当該企業の正常な運営にとって由々しき事態であるから、企業経営者としては、社員をしてその施策への協力を求めるため、社員を説得・指導し、協力的に育成していくことは極めて当然のことであり、P2課長の右の発言も、会社施策に反対し、非協力的な社員のいる現実を例にとって、会社経営者の立場から、P1にそのような行動に出ないことの自覚を求めた発言にすぎない。

要するに、P2課長の右の発言は、単に、特定組合の主義・主張を中傷的にひぼうしたとか、批判したとか言われる筋合いのものではなく、いわんや、その発言がP1にその所属組合からの脱退を勧めているといわれる筋合いのものではない。

さらに、本件命令は、P2課長が、京葉線への配属を勧める経過で、組合批判、脱退勧奨発言に当たる発言をした旨の認定・判断をしているが、これらP2課長の発言にかかわる事実認定は、審問段階におけるP1の想像を交えての極めてあいまい、不確かな発言等に基づくもので、特定の組合批判とか脱退勧奨発言と言われる筋合いになく、本件命令の認定・判断には誤りがある。

(三) P1に対する第二回面談は、P1の復帰後の配属先として原告会社が構想していた京葉線配属に関してP1の納得が得られなかったことから、再度、京葉線への配属を説得し、納得を得るために持たれたものであった。

ところが、本件命令は、第二回面談におけるP2課長とP1のやり取りに関して、P2課長が、「組合を辞める意思はあるか。」「千葉運転区に行きたいなら、何か確証を見せて下さい。」と述べて、P1に所属組合からの脱退を迫り、P1の希望どおりの配属の見返りに組合脱退の確証を求めるなどして、所属組合からの脱退を勧奨したとの認定・判断をしている。

本件命令は、P1の極めてあいまい、不確かな審問段階における証言等の内容の真実性につき合理的検討を加えないまま、右証言をそのまま真実と前提した事実認定の下に、P2課長に組合脱退勧奨発言があると判断したものであって、右認定・判断は誤りである。

京葉線配属の説得は、それら社員が所属組合を替わるか否かとは全くかかわりのないことであったし、いわんや、P1が組合を替わらなければ不利益的に京葉線に配属するというような趣旨で説明されたものでもない。また、P1に対して、その所属組合を変われば千葉運転区に配属すると説明されたような経過もない。国鉄当時において派遣に応じた者に対しては、原則として元の職場に復帰させることが約束されており、途中で国鉄改革があって原告会社が発足したものの、P1は、他への配属を了解した場合でない限り、原則として元職場である千葉運転区に復帰・配属される関係にあった。したがって、所属組合を替わらなければ他へ配属されるとか、所属組合を替わったから千葉運転区への配属希望がかなえられたというような関係はなかったのである。

しかるに、P1は、第二回面談の途中において、P2課長の説得を受けようとしないで、突然、「組合を替わるから千葉運転区にしてくれ。」との趣旨を一方的に述べたのである。P2課長としては、組合所属を復帰後の配属措置と関連づける認識の誤りを指摘する意味で、「組合を替わる替わらないといったことは自分自身で決める問題であり、配属措置とは関連がない。」旨をP1にはっきりと伝えるとともに、そのような誤った認識を持つ者に、それ以上に京葉線への配属の説得活動を継続することを止め、面談を打ち切ったのである。

(四) ところで、第二回面談が終わった後、P1は、社員P3と共に東鉄労千葉地方本部に赴き、同組合幹部の勧めもあったようであるが、補助参加人組合からの脱退届を作成するとともに東鉄労への加入届を作成し、これら届出書を同組合幹部に渡しているのである。そして、その直後から補助参加人組合の役員と連絡を取り合い、昭和六三年四月一日配属発令が行われてから再びに補助参加人組合に戻ることを約束している経過が判明している。

以上のようなP1の特異な行動から推測するに、P1は、「所属組合を替わらなければ京葉線に配属となる、所属組合を替われば希望する千葉運転区に配属してもらえる。」との誤った独断的な思込みにより、自ら組合を替わると言い出し、東鉄労組合事務所において補助参加人組合からの脱退届、東鉄労への加入届を作成して提出し、補助参加人組合には四月一日復帰時の実際の配属発令を待ってから再び復帰するというシナリオによる芝居気のある行動に出たもので、P1作成の陳述書や審問段階での証言は、一方的な自己の思い込みに想像を交えて、面談の経過を述べているものというべく、全く信頼できないものである。

(五) 本件命令が、千葉運行部千葉運転区長P4(昭和六三年四月一日から千葉支社運輸部輸送課長)ら、P2課長以外の管理職の言動として認定するところも誤りであるが、そもそも、これらの言動があったと認定されるのは、昭和六三年四月一日におけるものである。

ところで、本件命令がP2課長の脱退勧奨行為としてとらえるのは同年三月一五日及び同月一七日の本件各面談時における発言であり、一方、P1による所属組合への脱退届と新たな組合への加入届が作成・提出されたのも同月一七日であることが明らかである。にもかかわらず、何故に、既にP1による組合脱退届が作成提出された後である同年四月一日の言動をとらえて、これが、それ以前の同年三月一七日に既に組合脱退がされている行為に係る脱退勧奨を補強する言動と評価され得ようか。その評価・判断の不当であることは、以上の時的関係を指摘するだけで明白である。

(六) よって、本件命令の認定・判断には誤りがあるので、その取消しを求める。

2  被告

本件命令は、労働組合法二五条及び二七条並びに労働委員会規則五五条の規定に基づき適法に発せられた行政処分であって、処分の理由は本件命令の理由記載のとおりであり、被告が認定した事実及び判断に誤りはなく、原告会社の主張には理由がない。

3  補助参加人

(一) 原告会社は、本件命令の認定・判断を非難する。しかし、原告会社の労務政策の最高責任者であった常務取締役P5が、「昭和六二年度経営計画の考え方等説明会」(昭和六二年五月二五日)において、「会社にとって必要な社員、必要でない社員の峻別は絶対に必要なのだ。会社の方針派と反対派が存在する限り、特に東日本は別格だが、穏やかな労務政策をとる考えはない。反対派は峻別し断固として排除する。等距離外交など考えてもいない。」と述べるなどして、「会社の方針派」、すなわち、国鉄の分割・民営化に賛成し「労使共同宣言」に応諾した動労、鉄道労働組合(以下「鉄労」という。)、全国施設労働組合(以下「全施労」という。)等の労働組合と、「反対派」、すなわち、これに反対し、ないしこれに応諾しない国労、補助参加人組合等の労働組合とを峻別し、国労、補助参加人組合等の労働組合を排除しようとする姿勢を明確に打ち出していたこと、同じく、原告会社社長P6が、原告会社と親密な関係にある東鉄労(動労、鉄労及び全施労が合体したもの)の第二回定期大会(昭和六二年八月)の来賓として、「一企業一組合というのが望ましい。」、「東鉄労以外にも二つの組合があり、その中には今なお民営分割反対を叫んでいる時代錯誤の組合もあ」り、「このような人たちが残っているということは会社の将来にとって非常に残念」、「この人たちはいわば迷える子羊」で「このような迷える子羊を救ってやって頂きたい。」、「名実共に東鉄労が当社における一企業一組合になるようご援助いただくことを期待」する旨述べたことなどに表れているように、補助参加人組合は、原告会社から排除及び弱体化の対象と目されていたものである。

(二) 右のような原告会社の労務政策の下、原告会社では、補助参加人組合が排除及び弱体化の主な攻撃対象となっていたのであり、P2課長は、派遣に応じたにもかかわらず、相変わらず補助参加人組合の組合員であったP1に注目していたものである。

P2課長が管理職となった国鉄時代末期は、P5常務が前述の発言の際「職場管理も労務管理も(昭和六二年)三月までと全く同じ考えであり、手を抜くとか卒業したとかいう考えは毛頭持っていない。」と述べていることからも明らかなように、国労・補助参加人組合の排除の労務政策が鮮明に打ち出され実行されていたのであり、P2課長は、その渦中の昭和六二年二月に千葉鉄道管理局運転部付となり、同局の労務政策実践の担い手として赴任したのである。

同年一二月一六日、補助参加人組合津田沼支部が支部大会を開催する際、P2課長は、津田沼支部組合事務所前に数十人の管理職を動員し、ピケを張らせ、組合員が集まることを阻止し、同年五月一七日、組合員らが三里塚の集会に参加する前に、旧成田運転区庁舎前に集合しようとするのを管理職を陣頭指揮して組合員の立入りを妨害し、昭和六三年初頭、社員全員が補助参加人組合の組合員であった幕張電車区木更津支区に一か月にわたり通い詰め、組合員の点呼時の服装、バッジの着用等を問題にし、他方、同年一月二三日走行中の電車運転室に泥酔状態で乱入したP7木更津支区長を厳重注意にとどめるなど、原告会社の労務政策を先頭に立って担ってきた。

P2課長は、常に労務政策の中心にいて、乗務員たる社員の労働組合所属については、高い関心を持っていたものであるが、原告会社においては、各現場における社員の組合所属をこと細かく調査しており、総務課長の下で、集計整理されていたものである。「組合所属別人員報告」の調査票においては、社員の労働組合の移動もきちんと把握されるようになっており、原告会社においては、常に現在の組合組織状況を把握し、誰がどの組合に所属しているかを把握しており、それは現場ごとの一覧表として各管理職の知るところとなっていたものである。そして、その資料が積極的に利用されていたことは、昭和六二年五月二五日行われた「昭和六二年度経営計画の考え方等説明会」において、P5常務が行った前述の発言でも明らかである。P2課長は補助参加人組合との関係で常に先頭に立って、組合活動に対し積極的な干渉を行ってきたことから、運転職場における社員の組合所属をつぶさに把握していたものである。

(三) そして、P2課長は、以下のとおり数々の個別の不当労働行為に手を染めている。

(1) P2課長は、昭和六二年一月、昭和五七年採用予科生にハンドル訓練を受けさせるための面接を行ったが、その際補助参加人組合の組合員に対し、「動労千葉は会社の方針にことごとく逆らっている。それについてどう思うか。」といって、補助参加人組合を批判し、その批判に同意を強要し、もし同意しなければ不利な扱いをすることを示唆したり、さらに「組合をやめればハンドル訓練を優先してできる。」といった、本件と同様な露骨な脱退勧奨を行った。

(2) そして、さらに右昭和五七年採用予科生にハンドル訓練を受けさせるについて、本来鉄道学園本科を昭和六一年一一月に終了した者全員について実施すべきものであるのに、P2課長は、全日本鉄道労働組合総連合会(以下「鉄道労連」という。)の組合員及び補助参加人組合から脱退して鉄道労連に移った組合員を優先してハンドル訓練を開始した。

(3) P2課長は、車務担当課長ないし車務課長として、補助参加人組合の組合員に対し、ことさらに事実と処分の均衡を欠く極めて重い処分を科していた。

すなわち、P8補助参加人組合千葉運転区書記長は、乗務中に帽子のあごひもをかけず、背面の背面カーテンを下ろしていたことを理由に昭和六二年一一月一日から翌昭和六三年五月七日まで乗務停止となった。

もともと背面カーテンを上げることやあごひもをかけることについては決まりはなかったのであるが、国鉄の分割・民営化前ころに鉄道労連が提唱し、国鉄の分割・民営化に当たって動力車乗務員作業標準に盛り込まれたものである。しかし、何らかの必要があって決められたものではなく、背面カーテンを上げていたのではかえって気が散り運転に集中できない面があり、トンネルに入るたびに下ろすなどというのは安全運転の観点からほど遠い考え方であることは明らかである。あごひもについても、運転室内で風に飛ばされることはないから、あごひもをかけることは無意味であり、煩わしいだけである。安全確保のためには、乗務員が運転しやすいように判断して運転することが重要であり、これらを規則で強制すること自体有害無益であるが、それに違反したとして半年問に及ぶ乗務停止処分を行うとは、常軌を逸したものというほかない。

P9千葉運転区支部支部長は、昭和六三年五月三日、勝浦駅出発列車を一分間出場遅延させたとして、その遅れはすぐ回復されたのに、翌四日から同年一二月二五日まで乗務停止となった。その他、P10津田沼支部書記長がやはりあごひもと背面カーテンを理由に一か月の乗務停止を受けている。

しかし、これとは対照的に、P2課長は、東鉄労の組合員の重大な事故に対しては、軽い処分を行っている。すなわち、銚子運転区所属の東鉄労千葉地方本部P11執行委員が、昭和六三年八月東千葉駅に停止せずに通過してしまうという通過事故を起こしたことについて、行った処分は、乗務停止五日ないし六日にすぎなかった。また、補助参加人組合の脱退者で鉄道労連組合員のP12が、平成元年一分程度の出場遅延をした際には、乗務停止処分を行わなかった。

(四) 原告会社は、昭和六三年四月、補助参加人組合木更津支部の副支部長、書記長、青年部長、執行委員ら五名の役員・活動家を売店へ強制配転したが、これらの強制配転にもP2課長がかかわっていた。P2課長は、同年初頭、木更津支区に一か月ほど通い詰めたが、この際、誰をどこに配転するかの構想を練ったものである。というのは、他の配転者は駅長のいる駅に配転され、駅長の判断で、その駅長が管轄する複数の駅を移動する可能性があったのに対し、P13副支部長は南船橋駅売店、P14支部書記長は千葉みなと駅売店と、いずれも両端の駅に張り付けるかたちで配転され、それぞれの駅に固定化されてしまった。

これらは、補助参加人組合木更津支部の役員を他の組合員から隔離することを企図したものであるが、P2課長が、木更津支区に通い詰めることにより、補助参加人組合木更津支部の組合員役員らの活動を抑圧するために有効な方法として考え出し、実行したものである。

(五) P2課長は、補助参加人組合の組合員に対する右の不当労働行為のほか、労働者の安全衛生を無視する指示、命令などを発した責任者でもある。

昭和六二年七月から八月にかけて、有毒な鉛ガスの発生するおそれのある貨車の解体を何ら危険についての事前説明をせずに指示し、鉛毒に備えた健康診断をその目的をひた隠しにし、鉛ガスを防御できないマスクを使用させるなどしたし、また、昭和六三年一二月五日発生した東中野事故(乗客と運転士の二名が死亡、重軽傷者二六名)の原因となった停止信号への対応に関する指導文書の責任者でもあった。

(六) 本件各面談におけるP2課長の脱退強要の事実の存在は、原告会社が国鉄の分割・民営化以降一貫して補助参加人組合を敵視・排除しようとしてきたこと、原告会社に協力的な東鉄労と一体となって労務政策を進めてきたこと、本件でP1の配属先として説得しようとしてきた京葉線区は会社側が補助参加人組合の影響力から徹底的に遮断・隔絶していわば純粋培養的に社員を配置しようとしてきたこと、P2課長が労務政策の内容と人事配置に実質的影響力を持つ立場にあったこと、P1が補助参加人組合に所属しながら派遣に応じたことから会社としては積極的組合活動家ではないと評価していたこと、本件各面談は、派遣先からの復帰という労働者にとっては自らの命運が決まる決定的局面での会社担当者との面談であること等の事実からすれば明白に認められるべき事柄であり、初審命令や本件命令が補助参加人の救済申立てをすべて認容したのは極めて当然の判断であり、いささかも変更する必要を見ない。

本件命令が「復職時配属先を決定する復職時面談の機会に、P1の原職復帰へのこだわりを利用してその脱退を勧奨したものであり、P2課長の職責・地位からすれば、会社が組合の弱体化を企図し、その運営に支配介入したものといわざるを得ない。」と判断したことは、正当であり維持されるべきである。

第三当裁判所の判断

一  争いのない事実、証拠(甲一、二、乙七九、一五三・一五四の各1、一五七の1、2、二三四の2、二三六、二三八、三二六の1、2、三二八、証人P2)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1(一)  P2課長とP15係長は、昭和六三年三月一五日午後、千葉運行部運輸課会議室でP1との第一回面談を実施した。

(二)  第一回面談において、P2課長は、派遣中のP1の労をねぎらった後、P1に対し、まず、(1)原告会社は、国鉄から民間会社になって、様々な面で大きく変わってきていること、一人ひとりが会社を良くしていこうという気持を持って行動することが大切であり、上司から言われたことをやっていればよいという時代ではないこと、民間会社として、提案、小集団活動に対する取組みも大切であること等、復帰に当たっての心構え等を述べた。

次いで、P2課長は、(2)このような状況下においても、提案や小集団活動に反対する社員がいること、会社で定めた動力車乗務員作業標準すら守らない社員がいること、今後の関連事業の展開や人材の育成等に必要な出向等に対しても、これをストライキで阻止するというような一部の社員がいること等、会社の右方針に反対する者が存在すること、提案や小集団活動に反対したり、このような会社の施策をストライキで阻止したりする状況は、民間会社の社員として望ましくなく、また、会社を発展させるとは思えないこと、提案や小集団活動についても積極的に取り組んでもらいたいことを述べた。

さらに、P2課長は、(3)ネクタイ着用、運転室背面カーテンの開放等の会社の指示に従わない社員がいることを挙げ、P1に対し、「あなたが社長であったら、そういう社員に対してどうするか。」と問いかけた。

(三)  続いて、P2課長は、昭和六一年三月から千葉みなと駅・西船橋駅間で一部開業していた京葉線が、昭和六三年一二月には東京方面では新木場駅まで延長され、さらに東京駅までの乗入れが計画されており、反対方面では蘇我駅までの延長が計画されている状況にあること、このため、京葉線の運転士要員として新たに約二〇名程度が必要となること、京葉線は千葉運行部の運転士にとって将来必ず魅力ある職場となるであろうことなどを詳細に説明し、P1に対して京葉線への配属を勧め、これに応ずるよう繰り返し説得を重ねたが、P1の納得は得られなかった。

(四)  以上で、第一回面談は終わったが、P2課長とP15係長は、P1に対してもう一度京葉線への配属の説得を試みることに決め、P1にその旨の連絡をとるよう手配した。

2(一)  P2課長とP15係長は、同年三月一七日午後、現業庁舎会議室でP1との第二回面談を実施した。

(二)  第二回面談において、P2課長は、P1に対して再び京葉線への配属を熱心に勧め、京葉線は、現在、津田沼運転区新習志野派出という形になってはいるが、もっと東京まで伸びていくので、全線開業した暁にはかなりの規模になり、いずれは独立した電車区になる見通しであることなどを挙げ、京葉線で働く意義を繰り返し説明して、P1の理解を求めた。

しかし、これら働きかけにもP1が応じようとしなかったので、P2課長がどうして京葉線が嫌なのかを尋ねると、P1は、千葉運転区ならばかなりの運転線区に行けること、特急の運転が好きなので、特急がない京葉線でなく、特急のある千葉運転区で働きたいことを、理由として述べたほか、派遣時に千葉鉄道管理局長から千葉運転区への復帰を内容とする保証書の交付を受けていることを挙げた。

このため、P2課長は、もうこれ以上説得しても無理ではないかという気持に傾いた。

(三)  ところが、面談がほぼ終わりに近づいたころ、P1が、P2課長に対し、唐突に、組合を替わるから千葉運転区にしてほしい旨述べるということがあった。この発言を聞いたP2課長は、京葉線への配属を説得すればするほど、P1の方は所属組合を替わらないと千葉運転区にしてくれないというような一方的な誤解をするに至っていることを知ったので、P1に対し、組合を替わるとか替わらないというのは、私がどうこういう話ではなくて、自分の問題であるから自分で考えて決めることである旨答えて、面談を終わることにした。その際、P2課長は、P1に対し、あなたの希望も踏まえて配属は後ほど連絡する旨、付け加えた。

(四)  P2課長とP15係長は、第二回面談の後、P1に対してこれ以上京葉線配属を勧めることを断念するべき旨話し合い、P15係長は、この話合いの結果を千葉運行部総務課人事担当課長に連絡した。

3  P1は、同日の第二回面談の後、一緒に来ていた東鉄労の組合員である友人のP3と共に、その足で、東鉄労千葉地方本部事務所に赴き、その場で、東鉄労への加入届と補助参加人組合からの脱退届を作成して同本部に提出したが、その際、P1が印鑑を持ち合わせていなかったので、P1の依頼で、同本部の役員が、翌日千葉運行部人事担当課に行き、出向担当者の了解を得て右各届出書に押印した。

なお、P2課長は、P1が補助参加人組合の組合員であるらしいとの認識を持ってはいたが、第二回面談の前後にP1のことで東鉄労千葉地方本部と連絡を取り合ったりしたことはなかった。

4  東鉄労組合員のP3は、P1と同一時期に千葉運転区電車運転士から京神倉庫株式会社に派遣され、同一時期に派遣先から運転職場に復帰することが予定されていたため、P2課長は、P3に対しても、P1の第一回面談と同一日に復帰時面談を行い、京葉線への配属を勧めた。P3は、P1が第二回面談に赴くことを知り、自らも配属等につきさらに希望を述べたいと考え、自発的にP1に同行し、P2課長に面談を求めたが、P3がP1に同行して来たことは、P2課長にとって全く予想外のことであった。

5  P1は、同年四月一日付けで、千葉運転区運転手に配属され、同日出社したが、それから約一週間後に、補助参加人組合の役員が、P1の東鉄労からの脱退届を東鉄労千葉地方本部事務所に持参した。

これに対し、乙第七八号証、第二二二号証、第二二四号証、第二二六号証、第二四〇号証の1、第三三〇号証中には、第一回面談において、P2課長が、ネクタイ着用や運転室背面カーテンの開放等の会社の指示に従わない組合や国労の組合員を批判したり、「あなたが社長であったら、このような組合員をどう扱いますか。」というように、「組合」ないし「組合員」を問いかけの対象としたこと、P2課長が、京葉線について、「動労千葉の組合員もいないからあそこがいいんじゃないか。」、「これからの京葉線は発展する所だから、動労千葉組合員が希望しても回さない。」、「今いる動労千葉組合員も何とかするつもりだ。」などと述べたこと、第二回面談において、P2課長が、冒頭、「組合に話をしたか。」と聞き、「組合から約束通り、千葉運転区に戻すようにとの話があった。」と述べたこと、さらに、P2課長が、「これからどうするつもりか、組合を辞める意思はあるか。」、「国労では同じことだ。もっとも、東鉄労に入っても、いったん東鉄労に入り、また動労千葉へ戻ったら、人間としての会社の信用がなくなりますよ。」、「あなたが千葉運転区へ行きたいなら、何か確証を見せて下さい。」などと述べ、P1が「この場で脱退届を書けばよいのか。」と問うと、P2課長の対応は「・・・・」というものであったことなどをいう部分が存在するが、これらは、乙第二三四号証の2、第二三六号証、第二三八号証、第三二八号証、証人P2の証言に対比すると、いずれも採用の限りではなく、他に、本件各面談等が、前記認定と異なる経過であったことを認めるに足りる適確な証拠はない。

二1  前記一1認定の事実によれば、第一回面談において、P2課長は、①提案や小集団活動に反対する社員がいること、会社で定めた動力車乗務員作業標準すら守らない社員がいること、今後の関連事業の展開や人材の育成等に必要な出向等に対しても、これをストライキで阻止するというような一部の社員がいること等、会社の右方針に反対する者が存在すること、提案や小集団活動に反対したり、このような会社の施策をストライキで阻止したりする状況は、民間会社の社員として望ましくなく、また、会社を発展させるとは思えないこと、などを述べ、さらに、②ネクタイ着用、運転室背面カーテンの開放等の会社の指示に従わない社員がいることを挙げ、P1に対し、「あなたが社長であったら、そういう社員に対してどうするか。」と問いかけるなどの発言をしており、弁論の全趣旨によれば、補助参加人組合は、提案や小集団活動の遂行、動力車乗務員作業標準の遵守、出向等の推進、ネクタイ着用、運転室背面カーテンの開放の励行などの会社の方針に対して、協力的な運動方針を採ってはいないことが認められるから、P2課長の右発言は、間接的にもせよ、補助参加人組合の運動方針に対する批判的見解を示したものであることは否めない。

しかし、使用者は、労働者の団結権との関係において、客観的に見て、組合活動に対して萎縮的ないし威嚇的な態様程度にわたらないものである限り、従業員に対し、企業経営上の種々の事項に関する自己の見解を表明し、これに対する協力を求める等の言論活動をする言論の自由を保障されているものということができ、このような言論活動をもって、労働組合法七条三号にいう支配介入に該当する不当労働行為と見ることはできないものというべきである。P2課長の前記発言は、前記認定のとおりの内容のものであり、発言のされた場所、方法、時期等を総合的に勘案すれば、原告会社の業務の適正な遂行を訴える穏当な内容のものであって、その態様程度において、客観的に見て、組合活動に対して萎縮的ないし威嚇的なものに当たらないことは明らかであるから、使用者の言論の自由の範囲内のものということができ、これを右にいう不当労働行為に当たるものということはできないというべきである。

2  また、前記一2認定の事実によれば、第二回面談において、P2課長は、P1が、組合を替わるから千葉運転区にしてほしい旨述べたのに対し、組合を替わるとか替わらないというのは、私がどうこういう話ではなくて、自分の問題であるから自分で考えて決めることである旨答えているのであるが、P2課長の右発言は、P1の所属組合の選択への関与を回避しようとしたものにすぎないから、何ら、労働組合法七条三号にいう支配介入に該当する不当労働行為と見ることはできない。

3  その他、前記一1、2認定の事実関係の下において、P2課長の発言について、これを労働組合法七条三号にいう支配介入に該当する不当労働行為と目すべきものは見当たらない。もっとも、P1は、第二回面談の後、補助参加人組合からの脱退届を東鉄労地方本部に提出しているが、このような事実があるからといって、そのことから、本件各面談におけるP2課長の発言をもって右にいう不当労働行為に当たるとすることはできないというべきである。

三  以上の次第で、その余の点について検討するまでもなく、本件命令は違法であって取消しを免れず、原告の本訴請求は理由があるから認容し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 福岡右武 裁判官 矢尾和子)

裁判官 西理香は、転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 福岡右武

<以下省略>

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